派遣村関連について考える(その1)

年末から話題になっていた派遣村。僕は2年ほどだけど、派遣村じゃない別の団体の、いわゆるホームレス支援な年越し炊き出しとかに参加していることもあって、ちょっと興味を持っていたのでした。

年越し派遣村が解散した後の人達(これはなんと呼称するのが一番ふさわしいんだろう)は、現在都内のいくつかの施設に移っています。その施設のひとつがある練馬区で、練馬区議の方々が発起人となってその後の支援についての相談会が行われたので、区外の人間ではあるのですが参加してきたというわけです。

まずは派遣村とその後についての現状確認とかを。
新聞に報道されていることともかぶります。

派遣村実行委員会が厚生労働大臣に対して緊急避難場所の提供を養成し、1月5日までは庁舎内の講堂が急遽開放されました。が、その後は各地の区民施設等を開放して事にあたっています。派遣村の人達のうち、わかっている範囲でのどこにどれだけ振り分けられたかというと

中央区の京華スクエア:80人
中央区の十思スクエア:74人
練馬区石神井学園用体育館:136人
大田区のなぎさ寮:21人(?)

という感じです。で、この振り分けの対象になったのが、厚生労働省講堂等に仮泊して、なおかつ緊急支援が必要な者ということだそうです。派遣村に登録した人のうち、300人強の人が対象となったらしいです。

ちなみに日比谷公園から各所に移動中にいなくなっちゃった人(発熱で入院とかもあったらしいです)もいれば、逆に登録をしないまま移動のバスに乗っちゃって、登録が無いからと追い出された人もいるそうです。で、石神井のところは基本的に全員男性のみ。年齢層は幅広く若い人からお年寄りの方まで含めてまんべんなくいるそうな。

基本的にこれらの施設では何が行われるのかというと、12日まで居所の確保。そしてお弁当の提供と、毛布の貸与。さらにはハローワークによる就労相談と、東京都福祉協議会による緊急小口資金の貸し付け相談と、TOKYOチャレンジネットとか福祉事務所とか東京しごとセンターとか東京都労働相談情報センターなどの各種相談窓口の紹介ですね。

ここにいるのは派遣村と言っているので派遣切りをされた人達だけかというと、やっぱりそうではないということ。派遣切りの人もいれば20年ぐらい路上生活を送っている人もいるし、さらには精神障害でいじめにあって施設から脱走した人とかもいるわけです。やっぱり基本が「年越し越冬炊き出し」なわけですから、路上生活の人もたくさんいるんですよね。なんとかみんなで頑張って新年は迎えようよ、冬を越そうよというものに、派遣切り問題が入ってきて「派遣村」という名前がついたわけです。これはネーミングの勝利と考えるかどうかというと難しいなあ。実際そのおかげでたくさんの寄付金が集まっているんですが、問題が返ってややこしいことになっている気もしますので。

具体的な支援内容として、まずは生活保護のお話から。生活保護は基本的に、それぞれ現在いるところの区に対して行われるらしいです。派遣村があった日比谷は千代田区。というわけで、派遣村にいる間に生活保護の申請を行うと、以後は千代田区の管轄になるそうな。一度申請を出したら対応場所はきちんと別の場所で入居するまでは変わらないので、派遣村にいるときに千代田区へ申請したらその後練馬区に移動しても千代田区の管轄になるそうです。ややこしい。この派遣村での措置のおかげで、交通費がおぼつかない人達の手続きやらなにやらが余計煩雑になっちゃったような気がしなくもないです。

ちなみに生活保護申請を行ったのは、練馬に移動した段階では全体の半数(これが千代田区で申請した人達)。現在は8割以上の人達がそれぞれの施設のある区も含めて生活保護の申請が完了しています。

生活保護の運用に関しては、12日までに申請を受けた全ケースについて決定を出すようです。さらに、アパートが決まらなくても住宅扶助を出すし、生活保護が適用される人に関しても緊急小口資金(1万円)の貸付を行います。異例の対応ではあるんですが、多分千代田区へ手続きをしに移動する交通費もなかったりする人もいるための措置なんだろうなあ。

次にハローワーク関連だと、今回はハローワークは住居確保見込み案件という、ようは住居がある仕事の案件を4000件持ってきていたそうです。ただ、中には期限が切れた案件もあるようなので、4000件全てが有効求人とは限らないんですけど。それでもまあ、これだけの案件を持ってきているそうです。

で、お金の話。お金が無い人に対しては、緊急的かつ一時的に生計の維持が困難になったときに5万円を限度に融資をするわけです。これが緊急小口資金。東京都社会福祉協議会の管轄ですね。据え置き期間(2ヶ月以内)は無利子で、貸付利率は2%になります。このときに、ある程度以上の金銭の管理ができるか審査をしてからお金を貸しています。こういうお金が無いと、交通費がなかったり、履歴書を買うお金とか証明書用の写真を撮るお金が無かったりするんじゃないかな、と。だからやっぱり派遣村の人達にも重要なわけですね。

食事は、お弁当が出るようです。やまて福祉会に委託されているのかな? ただ、暖める機械とかは無いので、油っこい冷えた弁当を食べることになっているそうな。派遣村のときは温かい汁物とかがあったんですが(これは越冬炊き出しだからというものもある)、施設の方ではそれがないんですね。たとえば災害時の避難用に、料理を温めるバーナーとかは避難所に用意されていたりするんですが、それを使わせてあげられないかと派遣村実行委員会の方で言ってもうまくいっていないようです。この辺の理由は後述。

これらの支援の元、集まった人達がぬくぬくと暮らしているかというと、やっぱりそれは違うわけでして。そもそも集まった人達の中には仕事があるけど住居が無い人というのも結構いるみたいなんです。「施設の塩梅はどう? 夜は寝られる?」と尋ねると、「夜は仕事でいないからわからない」と答える人いるとか。だから本当に仕事も住居も無い人がいれば、仕事はあるけど住居が無いという人もいるわけなんですね。その場合、同じ支援内容じゃ当然駄目なわけです。

あと、派遣切りと呼ばれる人達ではどういう人が多いか。新聞やニュースでは、12月末に切られてすぐに派遣村に来た人が登場することが多いみたいなんですけど、むしろそれよりも9月や10月に切られた人の方が多いみたいです。仕事がなくなって、それまでの貯金で1〜2ヶ月頑張ったけど万策つきてしまったので派遣村に来たという人の方が多いみたいです。あと、飯場の人達でいつもなら年末の工事で年越しの銭は手に入るのが、今年は工事が少なく、飯場の寮費がどんどん取られてしまうので仕方なく飯場を離れ、派遣村に来たとか。

だから実は、年末に派遣切りにあった人達の問題が本格するのは、むしろ3月ぐらいからという見方もあるわけです。さらに今年は経済がちょっと厳しい状態で、実はこの会社も決算を乗り越えられなかった! 的なことになったりすると今の派遣村よりももっとすごいことになるかもしれません。

というわけで、本来ならば誰がどういう理由でここにいるのかというのを、都は把握しなければなりません。が、それを把握できていないんですね。これは派遣村実行委員会の方でも把握できていません。多分これが一番大きな問題だと思います。人によって必要なものが違うのに、都は画一的な支援を行っているわけですよ。相談してください仕事紹介しますお金貸すから後は自分で何とかしてください、みたいな。

でもこれはある意味「都」というものの性質上、仕方が無い点でもあると思います。それは、やっぱり派遣村だけを特別扱いするわけにはいかないんですね。たとえば練馬区には区の相談員は3人、ハローワークの相談員は3人います。それぞれ1人ずつ、場合によっては2人までは施設に来ているんです。もっとスムーズに支援を行うために、これらの人員を増やせと言うのは簡単ですが、じゃあ派遣村じゃない人達が正規の手続きで申請したり相談したりするときの業務に差し障りが出ていいのかという話になってしまう。

さらに、都には今回のケースのような特殊な場合の支援メニューが無いんですね。ただ場所を提供しただけです。今回必要になるもので、衣類・医療・交通費等を提供するメニューが無かったりするわけです。生活保護の申請を早めたり、かなり異例の対応をしているんですが、すでにメニューにある内容を増やしたり処理を速めたりはできても、そもそもメニューに無い対応を行うのは難しいんですね。

というわけで、本来ならばそういう都や区などが行き届かない部分を担当するのがNPOなわけです。が、都が「東京都が責任を持って支援を行う」と言い、さらには「地元に迷惑はかけない」と言っているのでこれまたややこしいことに。具体的には、指揮系統も混乱しているせいで、たとえば派遣村実行委員会の方が「今度○○へ行くバスが出ます」的なポスターを貼るのも、都の職員に決定権が無いわけです。というわけで、貼るのを止めて上司に聞かなきゃならない。そんなことをやっていて、貼るまでに時間がかかったりするという状態になっているそうな。

支援の実施期間が行政に移ったので、正攻法で申請をするしかない。でも、今回は12日までという時間が限られているので、申請をしている時間が無かったりするんですね。ああ難しい。