PEACE ADに行って来た(その1)

なんかあれこれ途中で止まっていますが、怒られたので今月はてろてろ更新していこうと思います。

で、また途中の話題をほっぽって新しい話題になっちゃうんですが10月4日にPEACE ADというイベントに参加してきました。

http://www.waseda.jp/wavoc/event/20080912.html

誤解を恐れずに一番簡単に一言で要約すると、平和を構築するために広告を利用できないか? ということを話し合うシンポジウムです。

当日はちょっとだけ遅刻して行ったら、会場は超満員。立ち見もすでにいて、さらに立ち見すらできないような状況でした。

最初の基調講演は伊勢崎賢治教授。自らを紛争屋と嘯く伊勢崎先生は、世界各地の紛争処理を行った人。というわけで、その紛争の話から始まったのでした。以下、大まかな内容の箇条書きっぽく書きます。ちなみに主に映画ブラッド・ダイアモンドで出て来たシエラレオネの話題です。伊勢崎先生は開発援助団体NGOの責任者として赴任し、内戦(紛争)が起き、紛争処理の責任者として再度赴任したという経緯があるのでした。あの映画はよくできているけど、現実はあの20倍ぐらい悲惨な状態だったそうな。

シエラレオネは内戦前は世界最貧国だった。
 ・広範囲の汚職
 ・国家歳入にならない地下資源(全て外国に持って行かれる)
 ・士気喪失した国軍・警察という悪条件が揃っていた。
●現状の政府を倒すべくRUFという反政府ゲリラが結成された
 ・反政府ゲリラは若者中心。そのため世代間戦争の構図が出て来た
 ・若者がファッションでゲリラへ参加する
●ゲリラでは子供兵がカラシニコフ、RGBを使う
 ・子供兵は一度人を殺すことを覚えると大人より残酷に殺人を行う
 ・子供兵は最悪の最終兵器
●最初は崇高な目的(革命)でも内戦が続くと国は疲弊する
Peace Makerは停戦調印後の方が難しい
 ・和平合意の後の方が対立がぐちゃぐちゃになって難しいから
 ・和平合意とは妥協及び痛み分けのこと。Power Sharing
●テロリストとは誰にはむかっているかで決まる
 ・何をもってテロリストと言うのか?
●無条件降伏は近代ではありえない
 ・テロリストは民衆から生まれる
 ・テロリストを制圧し、民衆を制圧すると、その民衆からテロリストがまた生まれる
 ・民衆を全員殺すことは不可能ならば、無条件降伏はありえないことになる
●アフリカ人一人の命と日本人一人の命は同じ重さか?
 ・残念ながらそうではない
●国連安保理はアフリカ人が10万人死んだぐらいじゃ動かない
 ・疲弊したゲリラは、生きながら子供の手足を切ったりする行動に
 ・それでようやく国連安保理が動く
●紛争は予防可能か?
 ・可能であると感じている
 ・平和的解決は無い
●法の支配とは?
 ・法で支配するということは、その法を出す側が軍と警察という2つの暴力装置を独占していなければならない
●紛争を起こさないための早期警戒の仕組みがあればいいのでは
 ・それこそがメディアの力であり、役割では?
 ・ただし、Pre-Conflict(紛争前)はお金にならないため業界を作りづらい
 ・だが作らなくてはならない

 と、こんな感じ。最後に伊勢崎先生は紛争の起きるメカニズムを図にまとめてくれました。それを元に、保護する責任の上位概念として、紛争を起こさないためのResponsibility To Prevent(予防する責任)についてお話して〆という感じです。

 結局のところ、紛争=戦争は暴力行為であり、暴力行為はセクシーであり魅力的である、と。誰にとっても魅力的でお金になるから紛争をお金にすることはもう行われているし、だからこそなくならない。むしろ紛争がなくなると、各種軍事産業や人道的NGO団体が困ることになる。紛争前の平和な状態は、お金にならないため、業界を作ることが非常に難しい。でもそこを、広告の力とかを利用して何とか作って行かなくてはならないというのがPEACE ADのそもそもの考え方だということでした。

 ここで重要になるのが日本の役割になる、と。憲法前文に書かれている「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」のように世界中の国について言及している憲法を持っている国は日本の他には無い。だからこそ、日本が国際情勢で果たす役割が重要になるし、その立ち位置=日本が培って来た信頼もあって、自分は武装解除を実現できたとのことです。

 一番印象的だったのは、Peace Makerは和平合意の後が難しいという部分。つまり、基本的に無条件降伏がありえないわけですから、どちらの要求も完全に満たす和平合意というのはありえないわけです。でもって、さらにトップは和平合意をしても、現場の指揮官がそんなの聞いていないって言ってさらに対立したりと、対立構造がぐちゃぐちゃになって難しくなるんだそうな。そんな中、軍と警察を一手に握り、その対立している小さなグループを訪れひとつひとつ要求を聞いていき、全部は要求は飲めないけど一部は飲むというスタンスおよび安全保障を行うことでそのぐちゃぐちゃな状況を武装解除していったというから本当に凄い。

 でも、「自分がシエラレオネの開発の責任者をやっていた頃、紛争の予防ということに意識が少しでも行っていれば、紛争は防げたかもしれない。今でもそう思う」と述懐していたのも印象的でした。

長くなったので、伊藤先生のお話は明日へ(また続き物か!)